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イワヤ株式会社 創業の経緯と想い

イワヤ(株)創業者:岩谷 慶吉
イワヤ株式会社 創業者である岩谷慶吉は技術設計者を夢見て青森県から単独で上京しました。
鉄工場に就職しようと思っていましたが、人に勧められ、玩具工場に就職しました。
そこで9年ほどの修行後、1923年5月に「岩谷ぜんまい玩具製作所」を立ち上げました。
「イワヤ株式会社」のはじまりです。
しかし、創業してすぐの9月、関東大震災にみまわれてしまいます。
そのときは玩具事業を断念しそうになりましたが、震災直後でも玩具を求める声を聞き、
ふたたび工場を建て、おもちゃを作りはじめました。
後に、インタビューでこのように語っています。
「私は、玩具はこどもがいる家庭で、とても重要な役割を担っていると感じていました。
親たちはこどもたちに玩具を与えてやりたいと思い始めていて、これが人間としての感情でしょう。
だから、私は玩具を作り始めたのです。(中略)
こどもがいる限り、玩具は永遠のアイテムだと強く感じましたね。」
国内だけでなく、海外輸出商品もたくさん作りました。
当時セルロイドでできたゼンマイ玩具が大変好評でしたが、セルロイドが原因の火事が国内外で発生し、使えなくなってしまいました。
困り果てた慶吉は、代わりに布帛(ふはく)を使い始めました。ドイツではこういった玩具がありましたが、毛が立たず、手縫いに高いコストがかかってしまいました。そこで自ら和歌山県に出向き、生地会社と一緒に半年間研究し、本物の毛のように立つ編み素材生地の開発に成功しました。これを機に日本で布帛玩具が製造されるようになったのです。それ以来、今日まで、動きにこだわった動物の玩具を数多く作り続けています。
※1978年(昭和53年)のインタビューをもとにしています。

戦前の昭和4(1929)年に建設され、その後、整備拡張されました。
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